忙しい日々に押され、コラムを書く回数が減った事についてお詫びを申し上げます。
最近いろいろと思うことがありました、いろいろとがんばって生きたいです。



2002年、最後の暴言!!
2002

12/30

(月)

18

今年、企業の不正や御粗末な事が多く表に出てきた、この手の内容はまだまだ多く隠れているだろう。日本の美術についてこのような内容に触れたいと思う。日本の美術界は全く信用にならない。先進国でこれだけ如何わしい美術界、システム?を持っている国はそうはないだろう、それは事実、海外から観てもあてにならないし信用できないと言われるのは当然の事だろうと思う、評価、判断の基準が無意味な程に見る影も無い。
具体的な事から言うと、「何とか雑誌の特集の中に選ばれました、10万円かかるのですがどうでしょうか?」の様な内容の画家ターゲットの商法が一戦でまかり通っている事がある。これは上野で行われている公募展に出品した者をターゲットにしている事が多いのだが、絵を描く人間が、多額の画材代、郵送代、額代を多大な労力を使い、展示活動を形にして、挙げ句の果てにさっき言った様な連絡?で高額のお金を使ってしまうケースが多々ある。「自分の所へ連絡が来た」と喜び勇んで飛びつく人もいるだろうが、ここは1つこの国の美術界を改善して行く為にいろいろと考えて欲しい。こういう道を進んでいる者はどうしても「これをチャンスに大きく成れるかもしれない」という気持ちを逆手に取られ飛びついてしまいそうになるかもしれない、本人が商売対象に、それだけの存在になっている事に気づかずに・・・、名簿的な本も御金を支払って初めて掲載される、画家が我れ先にお金を支払って載っけてもらっているのである、情けない。美術業界系の書籍全てではないが、ほとんどこちらの世界これである。皆さんこの様な内容の話をどこかで聞いた事があるだろうか?、誰も話さないのは何故・・・。
もう今は亡くなられた版画家の池田満寿夫氏は以前の書籍でこの事について綴った段があり、お金を支払わず載せる事をしなかったら出版者側から「載せないと本の権威にかかわるので載せさせて下さい」という事があったらしい、これは有名な話である。
つまり端的に言ってしまえば、お金を払って払っても何も変わらないにもかかわらず、この手の商売はこの国には腐る程存在し手招きしている、当たり前だと考えていらっしゃる方は一度考えて欲しい、そんな事をしても何当然ら変わらないのに・・・。
例えていうとミュージシャンがCDを出すのにお金を支払って、ミュージシャン名簿に載せるのにお金を支払って、野球選手がお金を支払って球団でプレーする、それで良いのか?、おかしくないか?、という事である。
(商業体系にも問題があるがここでは控えておこう。)
音楽のジャンルは、消費者が本当にその曲が好きであるから購入するに至るのだが、美術の世界ではそれだけではなく、芸術という一言で表せないジャンルであるからこそ、良いといわれているから良いと思って観よう的な傾向がある、これの根底にあるのは美術界のこのような問題があるからではないか?、先に述べたような事等も影響を与えているのではないか?・・・。
今までこのような内容に誰もメスを刺さないから、あやふやな内容が今迄続いてきている。
自覚して欲しい、各々がこの国の美術について何らかの疑問や意見を持ち発言し制作に励むことの大切さを。
誰かが発言しないと何も変わらないのに、変えられる立場にある人も何も変えようとしていない、観察している組織集団も分かっているのか?いないのか?、「逆輸入でのみ評価するしかない不可解な体質」、「作家が作家からお金を得ている情けない仕組み」、「作家からお金を取ることでのみ存続している団体、会社・・・」、そこには蜃気楼の流通しか存在していない。
流通が滞っているのに、根底から変えて行かなければそのジャンルが繁栄、生きて行く事は不可能であろう、それなのに理想ばかり言う。
片意地はって見栄はって良い様にされている方々、この文章で何か感じて頂けたらと思って止まない。




ネットオークションが与えた影響
2002

12/10

(火)

17

先に述べたのがネットオークションの大まかな内容?だが、これは価値観の大きな変化をもたらした。普通、品物を購入した後それは中古という名目で、いくら新品同様でもほとんど値段が付かない物まであるが、このネットオークションの御陰でほぼ購入した金額、モノによっては定価の値、時にはそれ以上で売る事ができるのである、これは消費者にとって非常に強い味方で、たとえ衝動買いをしてしまったとしてもネットで売る事によって損率が少なくて済むという事がある、これによって購買意欲も進み経済にプラスの面もあるが・・・。しかし何と全くの無価値な「ガラクタ」まで購入する人がいるから不思議だ、これは実物を観ずにネットの画面でそれを見てしまうとイマジネイションがかき立てられ、妙に興味をそそられて思わず落札してしまうのであろうか?こ私もゲームセンター関係(UFOキャッチャー機フをもうすぐで落札しそうになった事がある、アトリエに置いてどうしようというのだろうか???、恐らく実際に品物を目の前にしていたら買おうという気すら起きなかっただろう。少し話が脱線してしまったが、以前からある一部の人達だけが共有していた骨董的な物の価値が様々なモノにまで普及し、日常の中に溶け込んだというべきだろうか、今や価値の無い物はないのである。逆にいえばコレを知らないとこれから先、様々な事で知らない内に損をしているかもしれない。お店を経営されている方もこれに出品されているケースが多々あった、それもそうである、消費者は全国にいて自分の住んでいる地域では手に入らないとか、品切れで困っている人がこれで手に入れているのであるから・・・、その地域の消費者だけでは売れもせず店頭に長い間売れ残っている商品がここでは飛ぶように売れるという事を見越しているのであろう。つまり今やネットオークション無しでは回って行かない企業商品がありこれで支えられ利益を上げている企業が多々あるといわざるを得ない、それ程ネットオークションは大きな影響を及ぼしているのである、そしてそれによってモノに対する価値観が変化してきたのであろう。



ネットオークションで観た日本
2002

12/10

(火)

16

今やネットで品物を購入すること花盛りである、「いつかネットで様々な物を購入できる日が来るだろう」と想像していたがいつの間にかもうその真只中である。今回のコラムはその内容ではなくネットオークションというモノに触れたいと思います。「オークション」つまり定価で売るだけでなく売り手が付けた値段の物を多数で競り合い落札するシステムだが、コレが現在物凄い影響力を持ち、その利用人口は日に日に増大している。大衆文化を語るには大衆文化に触れなければ本当の事は語れないということで、現在までに某日本一大きな「Yオークション」で260人近い方々と売り買いを体験致しました。海外のオークション事情は良く分からないが、メディアで言われている程に日本はまだまだ荒んではいない、人と人との礼儀がしっかりと存在していました。具体的にいうと、ネットオークションでは掲載された写真や文章を読み商品を判断して購入する流れの中で、顔が見えないだけに何か問題が起きるのではないかと思ったのですが、全く嘘偽りなく画像そのものの品物が郵送され、金銭関係の嘘等もなく本当に安心して現在まで取り引きが出来ていて人の誠実さがしっかりと存在していたのです。コレには勿論オークション主催者側の管理体制等良いシステムがしっかりしていることもあるが、これだけネットオークションが普及していて多くの人が利用しているにも関わらずスムーズに流れているのは正にこの国の良さだと言えるべきである。昼間家に居る主婦の方々が、家の中の不要になった物からゲームセンターで取ってきた物を売り捌いている様子はまるで「お店を経営しているかの様」である。そう、ネット社会では店舗を持たずとも立派にビジネスをしていけるのである。しかしその弊害があることを忘れてはならない。





無題
2002

11/25

(月)

15

サイト内整理にて削除となりました。



いろいろな思い込めて
2002

11/11

(月)

14

去年、世界を震撼させたあの「テロ事件」が起りました。私はその事で大きな恐怖を受け、自分の人生を深く考える、人生価値観を変え得るだけのショッキングな出来事でした。私は芸術家(現代美術作家)として活動してきて、去年ニューヨークでの個展、シカゴハーパー大学へのアーティスト訪問で渡米した際に、あの起きては成らない「テロ事件」をアメリカで経験し、私自身の今後の生き方、人生を初めて考える様になりました。本来芸術家は自分の独創的な感性を社会へ投げかけ、発表する事が全てだと考えていました、その時代を生きている作家がその時思う事、感じている事を第三者に対して公表し何かを感じ取ってもらう事、それ以上も以下も無いと、そう考えていました、それは無論政治や経済等へ口を挟もうなどとは考えもしないという事でもあります。それだからこそ客観的且つ傍観的にその時代を表現し得たところがありました。
私もこれまでその主旨で、私のコンセプトの素である精神性と現代の情景風俗等をミックスさせて作品を製作し続けてきました。
一作家、芸術家として行動し本当にそれで善しとしてきたのが事実です。
自分の作品を世の中に問う事に全てを費やし、そういう素養が評価され得る数少ない世界にあって、芸術活動をする事が社会に対してのボランティア的活動も含んでいると考えたからこそ、それを続ける事で善し、と強く心に思っていた人間に、アメリカでの個展とアーティスト訪問という私にとって喜びに胸踊らされるスケジュールが舞い込み、そして渡米致しました。
人は皆頭では自分が何時か死期を迎える事も、それに対しての自分なりの考え方、それなりの哲学もある程度は持ち合わせていると思います。私自身も「生と死」に対してはそれなりに自分の考えを持ち、自分の周囲の人の死も経験してきました。私はあのテロ事件が起きる迄はそれを持ち合わせているつもりでした。
ニューヨークでの滞在を無事に済ませて少し早めにシカゴの大学を訪問した時の事です、5日後の朝何時もと同じくデッサンを指導していた時にその知らせを聞きすぐに休講になり、ステイ先に帰宅後私は見えない何かの恐怖からショックを受け夜迄寝込んでしまいました。
生まれて始めて死というものの傍にいた恐怖、私はニューヨークで友人のピーターにマンハッタンを一望できるワールド・トレードセンターへ行こうと誘ってもらい、リバティ島で実家へのお土産の為に購入した70cmはあろうかという大きな箱を彼は見て「ボムと思われて入れてもらえないから行くのを止めよう」という事になり、後日一緒に行こうと約束をしたのですが、一足早くもう一人の友人ラナの家へ行く事になった為シカゴへと発つことになったのですが、もし後数日止まっていたらどうなっていただろうというすぐ側にある死の恐怖と、あんなにも簡単に人間の人生命が奪われる事への憤りと虚しさとでショックを受け夜も眠れず、6日後、飛行機に乗った際、側に座っていた女性が胸に十字を切っていた姿も、今でもハッキリと憶えています。
帰国後は暫くの間何も手に付かず、このままでは駄目だと思い、絵画指導する傍ら、無くなられた方々への追悼の意味を込め「顔シリーズ」として製作し始め、現在2000枚を越え、今も継続するに至っています。あの事件以降、私はモノを作る行為という事を今迄以上に深く考えるようになり、そしてその事と同じ位、それ以上に人の精神性命、その国の文化、民族性、経済、政治に非常に興味を抱くようになりました。民族間の思想の違いや過去から引きずっている辛い歴史、そして経済、生活水準の差等から起る争いなど、今も頭の中の「もやもや」は消える事が無く、「何故」と結論から来る事を、自問自答を繰り返すよりもそこへ踏み込んで「学びたい」と本当に心から思うようになりました。それはただ単に国、経済、法律等の仕組み成り立ち、比較だけに止まらず、人の精神構造まで深く知り、何らかの結論を導き出したい続けたいという思いと、起きた悲哀について慈悲を投げかけるだけではなく、ましてや、その時代現代社会を度外視した、精神論たる精神論を掲げてその時起きた結果に対して結論付けるような事ではなく、社会に暮らす一人としてそこを知り、又そこから導き出したものを照らし合わせて新たに進むべき考えられる道を模索出来ればと思うようになり、これこそ限り無く真実に近く、あるべき姿だと考えるに至りました。
今後も芸術らしい芸術ではなく、様々なことへ今生きている私の声で話せることを、そして製作することを大切にして生きたいと思います。



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