***リアルに***
2003

4/22

(火)

23

今まで平面主体の作家は完全に完成されたモノ、世の人へお見せする事の出来るレベルの作品しか公表してきませんでした、そして亡くなってから途中の作品や明らかに納得いっていないモノが世に出てきました。
身近に感じるという事は、とてもリアルに近いという事、つまり完結されたものだけではないという事。
私はその御上品なエゴが人々を芸術から遠ざけている様に思ってなりません。
インターネットが普及したこの時代、誰もが気軽にホームページを見る事が出来る様になってようやく身近なモノに近づいて行くだろうと思います、つまり・・・
他のメディア媒体ではお見せできるレベルのモノ、あたりさわりの無いモノしか投影されなかったのが、インターネットサイトでは当人の意図する内容がストレートに表現できるという事です。
私は、WORK(作品)ページの「顔シリーズ」で良いも悪いも無く全て掲載しています、このシリーズは一枚も紙を無駄にする事なく、紙に筆をつけたら結果どうであろうと良いとするところにあります。
芸術とは人間そのものだと思います。
内面的なモノも勿論そうですが、完全なんてあり得ませんね、同じ人は1人もいないし、生まれながらに障害を持っている人もいるし・・・。
芸術もそこを知って欲しいんですね。
このサイトで少しでもリアルに伝わればと思っています。



***このサイトで考えている事***
2003

4/22

(火)

22

私がこのサイトで考えている事は、全ての人へアートが身近に感じてもらえる事、つまり「日常にアートが・・・」です。
ごく一部の人達だけがアートに浸るというのではなく、全ての人々の生活の中に、周囲にアートが存在し、究極は音楽や映画アートの様に自然に受け入れられる、思考できる空気になればと思っています。
しかし、あえてこう言った方が良いのかも知れません、
「どーでもいいんです、アートなんて・・・」



***この「サイト」について***
2003

4/22

(火)

21

今から約2年前(2000年)までは、いわゆる画家として油彩画中心の活動をしていましたが、現代ではもっと多くの事が表現出来、アカデミックにこだわるには私としては窮屈だと判断致しましてスタジオとする事になりました。
「アトリエ」から「スタジオ」へ、という感じです。
(些細な事かも知れませんが、「スタジオ」という事にこだわりました。)
以前は商業系ビル?の3Fで油彩の匂いのするアトリエに住んでいましたが(下はカラオケ店でした)、現在はコンピューターの陣取る場所で配置が決まってしまう程の変化があります。
大きく変わった事は、絵画という一種閉鎖的な世界から抜け出した事で視野が広がったという事かも知れません。分かりやすくいうと「絵画」中心から広い意味での「芸術」という変化でしょうか・・・より平面を考える事にも繋がりました。様々な仕事や世界へ感心を持ち、行動する事を考えています。
そんな変化の中で出来上がったのがこちらのサイトです。




美術界の裏の裏.2(仮面の崩壊)
2003

4/18

(金)

20

日本は美的価値を商業化し、商業的価値で判断してきました、それは浮世絵で御存じのとうりだと思います、そして西洋絵画がもたらされ、油彩画が広まり、作家としての意味合いが少し違ってきました、それは西洋の画家のスタイル、具体的に言ってしまうと宮廷画家以降の印象派の作家のスタイルが日本ではこれ迄画家と言われる人間のスタイルとされ、それ以降現在迄そういうモノだと深く考えもせず認識してきた時代だと思います。
ここで述べている宮廷画家以降の印象派の作家のスタイルを分かりやすく記述しておこうと思います。
印象派の画家は自分の考えや画面(物の見方)に対して等の考え方で製作し(日本人はコレを好む)そして、生活とか経済的な事には無関係な御存じの画家のスタイルで製作し続け、積極的に前に出ず、評論家や見る目のある人?が作品やそれを判断し、それはそういうモノだとされてきました、コレからはみ出ると純粋な芸術家とは見なされませんでした。
現在、そういうスタイルは終わりました、私が思うにはおそらくこの国ではそれは無理だと思うのです。ここで言う絵画の見方等は西洋の歴史の中で培われてきたモノで、それが身体にしみ込んでいる?評論家?がいるからこそ自然に制作発表ができる側面があると思います。しかしこの国ではそれは無いと断言しておきます、唯一の賛美できる良い事は、この国ではお金さえ払えば誰でも気軽にスペースを借り、発表、展覧会を開けるところでしょうか?。
仮面の崩壊、ひと昔迄は評論家がとりあげた作品、作家が、絶大的な芸術性を持ち?、崇められてきました。大衆は芸術を理解しづらいが故にそれを凄いんだと認識してきたと思うのです。しかし、それを壊す存在が現れました(私はそれをとても嬉しく思っているのですが)、それは1つにはこの国の専売特許の商業です、とどの詰まり企業ですね。企業は商品なりをより良く売る為にそれにアートを盛り込みます、新しいアートを造りもします、古くはこれを純粋芸術と呼ばない空気で覆い隠していました、芸術をやる人間なら全てがアートだと知っているはずなのに、芸術をやる人間とその他を分ける意識が色濃くありました。
企業等は大衆に理解されやすく理屈説得力のあるあり方で、今や小さなゴム製のガチャから様々なモノまで、それは遥かに前衛的なあり方だと感じます、おそらく未来(今)は、絵画よりももっと身近な絵画、そしてその他には小さなフィギュアやセル画(今や貴重)など飾られている事でしょう。今だに画家とは絵画(平面)変貌の推移や、画面構成(コンポジション)の歴史を主張するだけで、それを習った事だけでそれだけです、そして今の現代美術たる現代美術は新しい価値観だけを伝える様なおこがましい芸術だけに成り下がっています、感性を解放するなら映画やアニメの方が何倍も豊富です。
そして心の底ではこの国の美術を信頼できないと認識していると思える決定的な節があります、なぜなら「逆輸入でしか評価できない」、そして「海外に行って巨匠に会っている」、あとは「コネ」とか等など、これは1つに評価してきた側に問題があったとも言えると思います、しかしなぜそちらの人達は自分達の事を批評しないんだろうか?。
私はこの国の芸術が様々な方向に悪影響を及ぼしていると感じてやみません。この国では基準が持てず、判断できず、自信がなく。戦後から変わった様にも思われるのですが。漠然と想像してみて下さい、芸術的事柄がしっかりと根付いていない国の何を信用できると言うのだろうか?。芸術はその国の財産で宝です、英知の結晶とまで言えるかも知れません。
現在、前衛で端的に古いスタイルを崩壊させて脚光を浴びている作家がいます、制作スタイルは賛同したくないですが、前衛ブリは尊敬に値します。この人の登場でより一層古い画家はがけっぷちに立たされたと言う事かも知れません、そう、今迄悪い意味でもそれを変えようとする人が現れなかったのです、「判断する基準を知らず理解できなかった」ということかもしれませんが、つまりこの国には芸術の流れがあるようで実は無いのです。
私は絵画らしい事?をやっていても芸術らしい芸術が嫌いです、自分の感性が投影された作品を創造しても時代を観る事は止めません。浮世絵からアニメ、こう言ってしまうのは当然と言えば当然なのかも知れません。




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